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生い立ち物語 <第二章> 思春期編

日野佳恵子思いつき日記 2004.10.01 記事より

生い立ち物語
<第二章> 思春期編

「女子校で男になる・・?!」

私は島根県の田舎町で生まれ、島根県で中学校まで行きました。
高校は、父親からお嬢さん学校に行ってくれと言われて岡山のノートルダム清心というカトリックの学校の寮に入りました。言わずと知れたお嬢様学校で「ちゃんとした教育を受けさせたい」という親心からだったのでしょう。
しかし自由奔放な中学時代を送っていた私にとって「すごいところに来たなぁ」というのが偽わらざる心情でした。

高校に入ってから私は「男」になりました。(オナベになったわけではありません!)バレーボールを続ける傍ら、デュオのフォークグループを組んで作詞作曲をし、学園祭やコンテストに出て唄ってました。気がつけば、黄色い声援であふれ、手作りプレゼントやラブレターを、また、バレンタインにはかなりの数のチョコレートをもらったこともありました。

「武蔵野音楽大学入学までの道のり」

私は別に将来の夢はありませんでしたが、ちょっとだけピアノとギターと歌ができました。
高3の進路指導で「音楽大学はどう」という進路の先生の勧めで決めました。
これは、音楽家になりたかったが叶わなかった父の夢でもあり、娘の私が音大を受験すると聞いた父は大賛成でした。 音大へ進む人は、小さなときから先生に付いています。私は高3から音大を目指しましたから、ほかの授業は捨てて、五線譜の問題集を解いていました。 当時、父は開業医、母は薬剤師で家は豊かでした。

父親が私が突然音大に行くと言い出したので、イタリアでオペラ歌手にしたいと思ったのか、毎週東京の音楽大学の教授のところにレッスンに通わせてくれました。
私は土曜日に東京に来てレッスンに行き、市ヶ谷のYMCAに泊まって、日曜日に帰るという信じられない暮らしをさせてもらいました。
滑り止めの小さな音楽大学もいっぱい受けましたが、だめもとで武蔵野音楽大学を第一志望にしました。

ところが、第二志望と第三志望の大学は落ちたのに、第一志望の武蔵野音楽大学声学科に合格しました。
武蔵野音楽大学は、1、2年生は池袋から西武線で埼玉に入った仏子にあります。3、4年生になると江古田に出てきますが、1、2年生のときは山奥の大変美しい景色の中で大学に通いました。ここでも寮生でした。

HERSTORY代表取締役
日野佳恵子

⇒ <第三章> 挫折期編を読む

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