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生い立ち物語 <第六章> 出産期編

日野佳恵子思いつき日記 2004.10.01 記事より

生い立ち物語
<第六章> 出産期編

「奇跡の出産」

25歳になり、私にも彼が出来ました。彼には正直に「子どもが出来ない」と言いました。「まぁ、いいじゃん」と言ってくれる彼で 「結婚しても仲良く暮らせればいいね」というノリで結婚をしました。

一生働かなければいけないと思い、忙しくタウン誌の仕事を続けていました。27歳のある日、車で営業に走っているとき、突然気分が悪くなり「私も一流の営業マンなんだ」と思いました。
実は父にはもっと迷惑をかけていたのです。小学5年生のときに学校でお腹が痛くなり、保健室の先生から急性盲腸だと言われましたが、病院に運ばれても盲腸ではなかったのです。

「大丈夫です。お薬を飲んだら治ります」と言われて父親の病院に戻されました。しかし、父が白血球を測ったら異常に増えていました。おかしいと思った父が私のお腹を開腹したら、胃潰瘍で胃に穴が開いていました。

小学5年のときに胃を2/3ほど取っています。20歳のときに卵巣を取っているので縦と横に傷があります。あとで「お父さんがお医者様だったから助かったけど、普通の家だったら絶対に命は助かっていなかったですよ」と言われました。でも人間というのは元気になったらそんな感謝も全部忘れるものですね。

私の胃は1/3残っており、それも普通に戻ると聞いていたのですが、ちょっとむかむかするので、胃潰瘍かな?と思い外科に飛び込みました。
そうしたら、お医者様が「ちょっと聴いてくれる。これは赤ちゃんの心音です。あなた妊娠してます」と言われました。奇跡の子どもでした。頭の中が真っ白になりました。できないと聞いていたのに、子どもができたと言われ、これはETか、産んでいいのか。ものすごくびっくりしました。

その後、産婦人科に移されて、お腹の中の写真をもらいました。何も知らないお医者様が「君は卵巣もないし、胃もないみたいだからこの命は大切にしなければダメだよ。頑張ってね、お母さん」と言って送り出してくれました。
家に帰り、母と夫に子どもが出来たと言うと、「それはめでたい、滅多にできることではない。このまま動き回って流産したら大変だから、すぐに会社を辞めろ」と言う話になりました。

私は編集長をしていたのでいきなり辞めることは出来ません。副編集長に一生懸命仕事を引き継いでいましたが、社員の頭数が少ないので気が付いたら、10ヶ月まで働いていました。
お腹はパンパンになって、生まれる寸前まで働いて、そのまま婦人科へ行き元気な女の子を産みました。
その子が生まれて、私は感謝してお母さんをしようと思いました。自分が親となって家族の絆を実感しました。私は勘当された父へ結婚式の写真付きはがきをこっそりと送っていました。

が、父からはなしのつぶてでした。連絡は一切ありませんでした。それでも子どもが生まれたことだけは知らせておこうと思い、子どもの写真付きのはがきを送りました。

ある日、弟から電話がありました。「姉ちゃん、俺は腹が立ったんだ。姉ちゃんが送って来た赤ちゃんの葉書を、姉ちゃんところに赤ちゃんが生まれたよと言って渡したら、見たくないと言ってはたき落としたんだよ。俺は腹が立ってけんかになったよ」

いちいちかけてくるな。聞いたらもっと腹が立つじゃないと思ったのですが弟が怒ってそんなことをいちいち連絡してきます。
でも私は、しょうがない、まだタイミングではないと思って、子どもが成長するたびに写真を撮ってはこっそり送っていました。

私は専業主婦になりましたが、このまま家庭にいていいのか、音大を辞め、六本木で歌を歌って挫折し、頑張ってタウン誌の編集長にまでなって、子どもにも恵まれました。しかし、私はもう一度何かをしないと、人生はどうなるのだろう。そんなことを悶々と考えているうちに、もう一度勉強し直して、世の中に戻ろうと思いました。

その後、夫と10年ぶりに父に会いに行きました。連絡をして行くと断られる可能性が高いのでいきなり病院の院長室を訪ねたのです。「こんな首のすわらない乳飲み子を長距離で連れてくるなんて・・。もっと大きくなってからにしろ」と孫を心配してくれました。こうして父とは徐々に和解して行きました。

「再出発への道のり」

私は現在起業家になりましたが、すべて導かれている気がします。なぜかと言うと、子どもができないと言われた私に子どもが与えられたこと、そして社名はHERSTORY(ハー・ストーリィ)。私は夜の世界を飛び歩いたり、一生懸命にキャリアウーマンをしてきたので、主婦と言う人たちには一切興味がなく、うるさいおばちゃんだと思っていました。

子どもがうまれて、目から鱗でした。赤ちゃんを持つということは、もう1つの命がそこに存在します。子を持って初めて親の気持ちがわかると言います。娘が胃潰瘍でお腹を切るということが起こったら、私は悲しくて死にそうになるし、もし娘が大学に入って、自分で退学届を出して夜の街に消えたら、心臓が切り刻まれそうです。遅すぎますが、母はこうだったんだということを娘を持って知りました。

この子にとってどんなふうに生きていく母親になるべきか、子連れでもう1回就職するにはどうしたらいいかも考えましたが思いつきませんでした。私は机の上で、気づいたことをメモしました。当時日本にはベビーシッターというビジネスがなかったので、子どもを持っている人は歯医者に行くのも大変でした。なら歯医者さんで託児をやったらどうか。赤ちゃんを持った途端に映画館にいけない。では映画館に託児をつけたらどうか。そんなことをメモしました。自分の環境が変わると、いろいろなことが見えます。今ではトイレに行くと赤ちゃんを座らせるコーナーがあります。あれも昔はなかったものです。お母さんが赤ちゃんを抱っこしながらトイレに行ったら、どうやってパンツを下ろすのか。不便だな・・。といろいろと考えてはメモしていました。

起業家や社長ということは考えたことはありませんが、こんなものがあったら便利だなということをメモしたことと、もう1回世の中に戻って自分の人生をやり直したい。この2つでした。

何か仕事をしなければと思っているときに、新聞で「家庭にファックスを普及させるのにはどうしたらいいか」という企業の企画書コンテストを見つけました。

私は、ファックスのお客様カードに「あなたが興味のあるものは何ですか。インテリア、家具、ファッション、マネー、保険・・・チェックしてください。あなたの欲しい情報をあなたの家にファックスします」と書いて、自分の欲しい情報がファックスでもらえる会員制度の企画書を出しました。すると不思議にも当たって、5万円と楯とファックスが家に来ました。佳作か2位かそんなところでした。

ファックスがやってきたので、もといたタウン誌や取引先の会社、広告代理店にファックスしました。「日野佳恵子。おうちにいます。原稿の作成、コピーライティング、リライト、校正、こんな仕事ならおうちでもできます」と営業をしました。在宅ワークの走りですが、まだ在宅ワークという言葉がありませんでした。ファックスをしたら、早速仕事が入り始めました。私はこうして家で仕事が出来る時代がやってくると思いました。

そのうちに、「日野ちゃん、マンションの主婦5人くらいに、今度出た新商品のアイスの味をどう思うか聞いてくれない」という仕事が来ました。私も昔、お客様の声を聞くというのをやったけれども、それを聞きたい人がいるんだ。そう思って、私はマンション中の奥さんに「すみません。今度のこのアイスを知っていますか」と聞きまくっていました。

HERSTORY代表取締役
日野佳恵子

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